北曲(ほっきょく)ログ

  1. Search
  2. Subscribe
  3. Archive
  4. Random
Newer
Older
  • アニメを見ている人たちの尺度がアニメしかない、これが最大の問題ではないだろうか。映像だとか作品だとかいう大局的なレベルで見れば、これまで色々な試みがなされてきたし、それこそ「作品崩壊」は至るところで生じてきた。
    例えば、『王様の映画』は、映画監督を主人公にしたアルゼンチンの映画だ。物語の後半、エキストラさえ集められなくなった主人公は、「ここは幻想シーンということにしよう」と苦肉のアイデアを出し、カカシに衣装を着せて火をつけたりする。アニメで言えば、優秀なアニメーターが次々に抜けて、ついには監督一人で原画を描きだすような感じだ。
    あるいは、タイトルは失念したが、百姓一揆のシーンをスタッフ総出(10人ぐらい)で撮りきった低予算映画もあった。明らかに映像としてはショボイ。だけど、CGでは出せない捨て身の迫力が、そこにはあった。
    予測不可能な出来事を歓迎するか、排除するか。「作画崩壊」なら「作画崩壊」でいいから、その先に何があるのか、誰かが踏み込まねばならない。そこをスルーしてしまったら、ライターなんて職業はいらない。下世話なぐらいの好奇心が必要なのだ。

    550 miles to the Future: ■アニメを見ている人たちの尺度がアニメしかない■ (via petapeta) (via theemitter) (via takeori) (via donashill) (via ssbt) (via mnnm)

    Posted on October 16, 2009 via PETAPETA

    Source: petapeta

  • staff
  • mnnm
  • vampir
  • jun69
  • lalalalife

Field Notes Theme. Designed by Manasto Jones. Powered by Tumblr.